レーシックの基礎

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レーシックの基礎

レーシックの歴史

日本では近視手術が普及しなかった理由

レーシック手術で回復

世界中で「簡単で安全な近視手術」が日本では全く普及しませんでした。なぜだかご存じですか。


近視手術は1969年、ロシアのフィヨドロフ博士によって開発され、70年代に実用化されました。近視が手術で治るというこの画期的な方法は、ロシアからまたたく間に欧米へ、そして世界中へ広がっていきました。


しかし、この時点で日本では普及がなかなか進まず、その遅れは現在にまで響いています。しかも、今でも近視手術に対する理解が進んでいない原因になっているのです。

フィヨドロフ博士

では、なぜ復旧が進まなかったのか。実はフィヨドロフ博士よりも20年近くも前に、現在の近視手術の原形となる、角膜の裏から放射状の切り込みを入れて視力矯正を行うことを考案した日本人がいました。順天堂大学の故・佐藤勉教授です。


フィヨドロフ博士の開発したアールケーと呼ばれる手術法は、この佐藤教授の「佐藤式角膜切開術」を基本して、完成させたものなのです。 角膜が前に飛び出してしまう「円錐角膜」という難病の研究に取り組んでいた佐藤教授は、1950年代には、世界初の近視手術の臨床実験を行い、その後10年間に850件以上の手術を行いました。世界中に注目されることとなった佐藤教授の屈折矯正手術法「Sato's Operation」ですが、その手術法はとても高度な技術を要するもので、他の眼科医が行うのは困難なものでした。また、当時は検査に必要な精密な測定機器が一般に普及していない時代でもありました。

「近視手術は危険」というイメージがなぜ起こったのか

佐藤勉教授

佐藤教授により、10年間で850人以上の手術をし、名実ともに結果を残していた近視手術ですが「近視手術は危険」というイメージをつくってしまったのは、佐藤教授本人だったのです。


佐藤教授の手術を受けた患者さんの中で、何年も経ってから角膜が濁ってしまう「水泡性角膜変性症」という病気が約2割の人に発生したことにあります。当時は、角膜の一番内側の細胞、角膜内皮細胞が角膜の新陳代謝をコントロールしたり、角膜へ酸素や栄養を補給する大切な器官であることがまだ解明されていませんでした。


残り8割の患者さんには問題ありませんでしたが、結果的に世界で一番早く近視手術に失敗してしまった事実だけが、クローズアップされてしまうこととになりました。この残念な結果が元で、日本眼科学会は近視手術を長い間受け入れることはありませんでした。


今では、その原因が内皮まで傷つけてしまった後遺症であるということがはっきりしています。発達した機器と技術のある現代ではまずありえないミスなので、ご安心ください。


スタートが完全で簡単な手術として広まっていった欧米に比べ、日本では「近視手術は危険」というマイナスイメージから始まってしまったのです。このような状況で近視手術がなかなか浸透しなかったというのは、仕方のないことだったのかもしれません。

さきがけとなったアールケーとは

佐藤教授がおこなっていた近視手術は後にフィヨドロフ博士によって開発されたアールケーと呼ばれました。 佐藤教授が行っていた手術方法は、角膜周囲に放射状の切れ込みを入れることで、角膜のカーブを軽減化して近視を治す方法でした。 フィヨドロフ博士は角膜の表面だけに放射状の切開痕を入れる方法をおこないました。


このことがアメリカに伝わり手術器具や、術式に改良が加えられ、近視だけではなく乱視や遠視も治すことができるようになったのです。 アールケーは、2002年までにアメリカで120万件以上、カナダで約10万件など、世界中で行われるようになりました。


しかし、その後アールケーは術後17%〜43%の頻度で遠視への移行がみられ、レーザー屈折矯正手術に比べると手技の困難さがあり、執刀医の技量によって治療効果が左右されるため、レーザー装置の発展とともに徐々に行われなくなっていきました。

放射状角膜切開(RK)手術

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